2007年9月23日 (日)

中国人はマナーが悪い!?

 忙しくてずっとほったらかされていたブログをまた再開します。この間の経過とか説明すると、また時間がかかるので前戯、いや前説無しに始めます。

 さてさて。最近日本の友人から電話が来たり、北京で会ったりすると

「チューゴク人って本当にマナーが悪いんだってな?」

という話がお約束で出ます。

 私としては3分の2は首をタテに振り、ただ3分の1は首をかしげるところがあります。

 確かに中国人のマナーの悪さは数えればキリがありません。

 行列を無視するとかタンを吐くなんて許容範囲。

 火のついたタバコをそのまんまごみ箱に入れるとか、お尻の割れたズボンをはいた子どものオシッコを路上でさせたりとか。

 以前、旅行で地方へ行った時、ホテルで露天風呂があるので入ってみたら、中国人男性が何と湯船に入りながらタバコを吸っていました。喫煙経験者の私から見ても、うまいとは思えないんですが…。

 しかも横を見ると、別の男性が湯船に入りながらカップラーメンを食べていました!

 露天風呂の敷地内にカップラーメンや飲み物を売っている売店があったので、公認のようです。いやはや何とも。

 しかしですね。逆に「日本の方がマナーが悪いんじゃないか?」と感じる時もあります。

 先日お盆で日本へ帰国した時、電車に乗ると、立っている客がいるのに、若者が足を投げ出して前の座席を占領したり、若い女性が隣の席にポーチを置いていました。

 それを見て

「中国にこんな人いないよ!」

 と思わず心の中で叫び、さらに「うわっ、何? 今の自分の考え?」と驚いていました。

 そう。中国ではバスや電車は座席すべてにキッチリ座り、物を置いたり二席分占領するような人を見たことがありませんでした。

 さらに最近、妊娠五カ月ほどでお腹の出てきた北京在住の日本人女性と話をすると

 「北京で電車やバスに乗ると、100%ゼッタイ席を譲られるので驚いた」

 と話していました。

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 マナーが悪いのも事実だし、こういった一面があるのも事実。

 私の個人的意見ですが、中国は歴史的に「お上」や「社会システム」を頼りにせず自力で生きる社会なので、その分「公共」概念が少ないように思われます。

 なので、タバコのポイ捨てや路上のオシッコなどは平気。

 一方、人間関係は日本よりまだまだ濃厚で、初対面でもベラベラしゃべるし、人と人との距離が近い気がします。だから「公共」という抽象的なもの平気で無視するけど、目の前にいる「人」に対しては、配慮が必要と思ったらすぐ行動に移れる、というように感じます。

 そう考えると、日本はどうなんでしょう。

 日本だって公共心というのはどっかに行ってしまった気がするし、「うちの子が頭が悪いのは先生のせいだ」と言うモンスターペアレンツや、企業に何回も電話をかけるクレーマーとか人間関係もギスギスしている気がします。

 「ばれなきゃ何やってもいい」というような発想は、むしろ自分の姿を無防備にさらす中国人より悪質な気がします。

 さてさて、私たちはどれぐらい「中国人は…」という資格があるのでしょうか。ちょっと考え込んでいる今日この頃です。

 

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2007年7月 8日 (日)

危険な話

中国製の食品や医薬品が世界中で問題になってますね。

中国産原料を使ったペットフードでアメリカでは犬が死に、医薬品原料でパナマの患者が死亡しています。
 中国国内でも、劣悪な粉ミルクを飲んだ乳児が死亡、「偽酒」を飲んだ成人が死亡するなどの事件が相次いでいます。
 

ここからは私が直接聞いた「危険な話」です。

仕事でよく会う中国人男性は、自宅でアイさん(家政婦)を雇っています。

そのアイさんは副収入のため自宅でブタを飼育して売っているのですが

「ブタを売る一カ月前から、ブタを大きくするための薬を食べ物に混ぜるの。そうするとブタはブクブク太って、食べて寝て、食べて寝てを繰り返すだけになるの」

だそうです。

薬漬けのブタを売ってアイさんは大喜び。

ミートホープの社長が「いやあ、上には上がいるもんですね」と驚くかもしれませんね。

次は、同じ中国人男性が八百屋さんで聞いた話。

キュウリは「イボイボが大きい方がおいしい」と言われるそうですが、あるところでは、キュウリに避妊薬を注射してイボイボを増やしてるというのです。

避妊薬で排卵を抑制する(?)ことでイボイボが増えるとは学問的に正しいかどうか分かりませんが。

八百屋さんによると「そういった薬品は野菜のタネや肥料を売っている業者のところで簡単に手に入る」そうです。うーん。

さて、最後にこれは日本人から聞いた話。

中国のイチゴには、成長を促進するため「ホルモン剤」を注入しまくっているイチゴがあるそうで、毎日イチゴを食べていた2歳の女の子が「生理」になってしまった、そうです。

怖――い! ちょっとこれは「都市伝説」と言うか、うわさ話に尾ひれが付いた気がしないでもないですね。しかし、火のない所に煙は立たずとも言います。それに近い事例があったのかもしれません。

小さな娘さんがいる家庭では「避妊薬入り野菜を食べて将来不妊症になっても困るし、ホルモン剤入り果物を食べて生理が来ても困るし、どうすればいいの!?」と悩んでいます。

ある日本人家庭は、外国人向け高級スーパーや割高の産直制度を利用するようにしています。

逆の意見も紹介しておきましょう。

二十年近く中国に住んでいる六十代の日本人男性は

「そういう話は極端な例だよ。私は現地の庶民と全く同じ食べ物を食べ続けているけど、何にも異常はない。健康そのもの。街角で売っている一個五角(八円)の白菜とかおいしいよ」

だそうです。

私も中国で一年ぐらい暮らしてますが、とりあえずは異常ありません。

体に毒が蓄積されて「時限爆弾」のようにいつか何かが起きるのかもしれませんが…。

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2007年7月 2日 (月)

ふしぎなメニュー

 北京市中心部で「呉越水郷」という店へ行きました。上海料理の店で、秋は美味しい上海カニが楽しめます。

 

今ひとつ違う楽しみができるのは、そのメニューの日本語です。

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近くに日系のホテルニューオオタニがあるので、日本語の説明があるのですが、逆に混乱するような説明が並んでいます。

 まず下の写真。

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中国では動物を「只」と数えます。一匹、二匹の「匹」ですが、ここでは「ただ……だけ」と訳しています。

学校の漢文の授業を思い出しますね。「いわんや……をや」とか。

でも「高級の魚のスープ」と食べ物の意味が分かるだけいいですね。下の写真を見てください。

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「ネギの烏は参加します」…

「烏参」はナマコの意味ですが、わざわざ一文字ずつ分解して動詞の「参加」にしてしまったようですね。

本来は「ネギとナマコを醤油に付けて、汁が無くなるまで煮込んだ(いためたかな)もの」という意味だと思います。

それでも「ネギの烏は参加します」は、一応は日本語の文法にはなっています。下のはどうでしょうか。

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「手はスッポンの甲を引き裂きます」…。うーん。シュールですねえ。

本来、「手でちぎったスッポン」という意味です。「てにをは」が違うだけで全く異なってみえます。

写真の上の方にある「味噌の刺激性の味がする植物は魚の頭を蒸します」の方が、まだ日本語らしい気がしてきますね。

さらに、メニューには何と「危険物」もありました。

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食べ物が「破裂」してはいけませんね。

「爆」は高温の油でサッと焼く、あるいは沸騰した湯の中でサッと煮るという意味ですが、「爆」を「爆発」の意味にとらえたようです。

そして一番びっくりしたのがこれです。

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店が「まずい」と思っているものを客に出してはいけませんよね。

「糟」は「酒かす」の意味です。正しくは「酒粕につけた腸詰め」です。

中国では「糟」を「しまった!」「失敗した!」という時にも使うので、そういう意味で「まずい」と使ったようです。

でも、それならそれで「失敗した腸詰め」を客に出す、と言うことになってしまいますが。

面白かったのはこのメニューですね。

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「悪辣な魚」!

「ワルだけどいかした野郎!」って感じでちょっとクールです。

「辣」は「ラー油」の「辣」なのですが、わざわざ「悪辣」と難しく訳すとは。

狙っていたら面白いですね。

「招稗」は「その店の看板料理」という意味です。

一連の日本語訳は、ヤフーの自動翻訳機能とか使って訳したんでしょうか。人間の頭で考えて訳したニオイが感じられません。

 中国の有名料理店はメニューに結構、日本語の表記がありますが、みんなこれと似たり寄ったりです。

北京大学に留学中の日本人留学生とかに頼めば、百元(千五百円)ぐらいで一晩もあれば訳してくれると思うんですけどね。

もちろん、日本人も語学力では人のことを笑えませんよね。

「ポカリスエット」は訳すと「汗くさい水」みたいな意味(「水みたいな汗」かな?)になり、欧米では「飲み物ちゃうやん」と笑われているというのは有名な話ですね。

私たちが身につけている衣服などの英語表記もいい加減と聞きますし。

人の振り見て我が振り直せということで、このネタはおしまい。

また面白いメニューを発見したら報告します。

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2007年5月 7日 (月)

白い巨塔

 日本のテレビドラマは通常、週に一回の放映ですが、中国は月-金の連日放送が基本です。

 ゴールデンタイムを含めドラマの時間帯は、NHKの朝ドラや民放午後一時台のドラマと同じように連日放送しています。

 昨年、日本のテレビ番組『白い巨塔』(唐沢や江口洋介が主演した新しい方)が中国でも放映され、かなりの人気となりましたが、やはり放送は連日でした。

しかも一日で二回分(二時間)をまとめて放映したそうです。

だから約二十五回分の内容が半月で放送終了。

知り合いの中国人に「あの番組は日本では週に一回、半年かけて放送したんだよ」と話すと、「信じられない。一週間も次の話を待ってられないよ」と驚かれました。

あと、中国で録画機能付きDVDを買おうと電器店などを回った時、ほとんどが再生専用DVDで驚きました。

大中電気という北京有数のディスカウント電器店に行った時も、三十数種類のDVDのうち録画機能があったのは四種類だけ。

やはり知人に尋ねると「中国人はあまりテレビ番組を録画しないなあ」とのこと。

理由としては

   録画してまで熱心に見るほど面白いテレビ番組がない

  大半の中国人は残業無しで定時に家に帰るので、夜のドラマならきっちり見られる。

   人気ドラマなら安い違法DVDがすぐ出回るので、それで見ればいい。

 --などなど。

 テレビ番組一つをとっても、その国の習慣や現状が見えてきますね。

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2007年4月28日 (土)

鼻毛

中国で暮らしていて困ることは「鼻毛」が伸びることです。

 

  油断していると、「田舎に住んでいる親せきのおじさん」みたいな鼻毛が両穴からニョキニョキと生えています。鏡を見て「この前切ったばっかりなのに」と驚きます。

 

かといって鼻毛を切りすぎるのも問題です。

今度は「はなそ」がすごい勢いでたまります。鼻が我慢できないほどモゾモゾして、外出中も人に見られないよう「はくそ」をほじらないといけません。

 中国はとにかく空気が汚れています。私は北京に来た当初、一、二カ月ほどセキが止まりませんでした。

 夜も咳き込んで一度は目を覚ます日々で寝不足になり「大変な所に来てしまった」と思ったものです(今は慣れてしまい、そんな自分が怖い)。

 石油などのエネルギーの使用効率は日本と中国では9・7倍の差があります。

 同じモノをつくるのに中国は十倍のエネルギーを使うわけですから環境も悪くなります。

自動車メーカーの人に話を聞くと「ガソリンに入っている鉛の割合が多い。北京の街に入ってすぐ「ツン!」とくるにおいで分かった。車の排気ガスがひどすぎる」と言っていました。

中国政府が今、日本側と関係改善を望んでいる理由の一つとして、日本の環境・省エネ技術が欲しいというのがあります。

ただ、中国側は「中日友好の証で、タダでちょーだい」と望んでおり、日本側は「あくまでビジネスベースで」と警戒しています。

今上海で開かれている国際モーターショーでは、マツダの車と全く同じデザインの車を中国の大手メーカーが出展しており、物議をかもしています。

「パクリも才能のうち」と思っているので堂々と出展するようです(パクリは認めませんが)。

なので、友好の証で省エネ技術を提供し、そのまんまパクられたらたまんない、ビジネスとしてきっちり契約しないと日本の技術が流出しちゃうという心配が出ています。

日中関係が悪くとも困るし、関係が深まれば深まったでまた問題あり。

鼻毛が伸びるのも困るし、切りすぎるのも困る、というのと似て……いませんか。

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2006年12月18日 (月)

数字の話

6カ国協議の取材でばたばたと忙しく、まとまった話が書けません。

まさに6カ国協議のことを書きたいのですが。

とりあえず今日は、数字の話について。

中国にも「縁起のいい数字、悪い数字」があります。

まずは「8」。

「ほう、中国も『八』は末広がりで縁起がいいのか」

と思われた人もいるでしょうが、意味は違います。

中国では「8」は「パー」と発音し、これが「金がたまる」という意味の「発財」(ファーツァイ)の「発」(ファー)と発音が似ていると(そうかなあ?)。だから8は豊かさを表す数字だそうです。

同じように発音から、中国では「9」も縁起がいい数字です。

「ジウ」と発音し、これが「久」(ジウ)と同じ発音。

永久、長生きという意味合いで、こっちの方が日本の「末広がり」に感覚が近いかもしれません。

あとは「6」。

これは発音ではなく、「六六大順」(物事がすべて順調にいく)という言葉が昔からあるため縁起がいいそうです。

語源はすごろくの「六」ですかね。

逆に縁起が悪い数字は「4」。

これは中国でも発音が「死」と同じ「スー」だからという理由です。

もう一つ意外なのは「7」。

「チー」という発音が「気」と同じ。

「気」は「出気」(チューチー、怒る)など悪い感情を表すことに使うことが多く、好ましくない数字とされています。

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もう一つ、独特なのは、結婚式などの重要な日取りは「奇数より偶数が望ましい」ということ。

日本なら、結婚式のご祝儀は1、3、5万円などが望ましいと言われますよね。

2、4万などの偶数は「割り切れる=別れる」という意味につながるので好ましくないと。

中国は逆に、奇数は「1」に代表されるように「一人ぼっち」という意味にとられるそうです。

偶数の方が一組、つがいという認識で好まれます。

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あと最後に、数字に関する最近の話題を一つ。

若者を中心に今、メールで数字を使って言葉を表すことが流行っているそうです。

一番多いのが「88」。

「バーバー」という発音で、「バイバイ」という意味だそうです。

さらに「521」

「ウー・アール・ニー」という発音ですが

「我愛称」(ウォー・アイ・ニー、※称は本当はニンベン)

つまり「あなたを愛しています」という意味です。

なかなか面白いですね。

日本語でも4649(よろしく)とか、イラストライターで326(ミツル)という人がいたりしますね。

英語でも「LOVE 2(TO) YOU」「CRAZY 4(FOR) YOU」

なんて表現が歌詞にあります。

各国における言葉と数字の関係、というのを考えてみると面白いですね。

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2006年12月 4日 (月)

労働と人間

Img_0620_1 中国の働き方を見ると「のどか」と言うか「効率が悪い」とつくづく感じます。

 北京を離れ、いくつか工場を見学た時の写真です。

 立派な施設の割に、何だかのんびりと仕事をしています。

Photo_1

   「俺、こっちの作業終わったけど、組み合わせる~?」

「いやー、まだ始めたとこー」

「じゃあ、向こうはどう~?」

「えー、違うこと始めちゃったよ~」

「じゃあ、向こうにいるから、できたら呼びに来て~」

 私が勝手に作った会話ですが、そう思えるように作業工程がばらばらです。

Photo_2

 この写真だと、作業員が連携しているように見えますが、やっぱりやっていることはバラバラです。

    ※ ※

 

私がこちらで引っ越しをした時も驚きました。

歩いて五分の場所への引っ越しなので余裕で一日で済むと思いました。

 

ところが作業員が十人もいるのですが、

①荷物を梱包する時はひたすら全員で梱包(当然何人かは余る)

②運ぶべき荷物はまだ残っているのに、全員が移動(何人かは徒歩)

③全員で荷物を開封(当然何人か余る)

④終わったらまた前の住所へ全員で移動(①へ戻る)

⑤結局、その日のうちに終わらず「また明日」。

 とにかく「何という無駄!」とあきれました。

  日本だったら、作業員が数組に分かれ、回転ずしのように梱包、移動、開封を繰り返して半日で終わっているような作業です。

 「連係プレーをする」という概念が乏しいようです。

日本の書店に置いてある「中国が死んでも日本に追いつけない30の理由!」みたいな本のエピソードに出てきそうですね。

ただ、ふと思いました。

連係プレーというのは

「全体の中で自分がどの位置にいるかを客観的に把握し、行動すること」でしょう。

 上空から見ているかのように、全体を見ている架空の自分が、実際の自分をコントロールする。

表現を変えれば、

「どうやって上手に操られれば良いか」

   

   さらに言えば、

  

   「いかに優秀なロボットとなるか」

    とも言えないでしょうか。

 朝鮮半島の話ですが、韓国に亡命した北朝鮮の人が韓国の工場で働き始めたところ、工場のラインについていけなかったり、状況に応じた工程の変更に対応できなかったりして、精神に異常をきたす人が大勢いるそうです。

 

 中国残留孤児が日本で働き始めて、工場のラインで「部品の箱を見ないで手を入れて、毎回ボルトを5本ずつつかむ」という作業ができず、仕事を辞めてしまった、という話も聞いたことがあります。

 「実際の自分が架空の自分にコントロールされる」

という労働スタイルは、まさに近代資本主義の「発明」かもしれません。

そう考えると、「架空の自分」というのも、本当に「自分」なのかもあやしくなってきます。

 北京で日本人同士が会話すると「中国人の働き方ってホントしょーがねーなあ」

なんて話がよく出ます。

 実際問題、実感として「困る」のですが、その当たり前と思っている「実感」というものを見つめ直すこともいいかもしれません。

 

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2006年12月 1日 (金)

ハセキョー・包丁・金属バット

今回は街で見かけたユニーク? 広告を三つほど紹介します。

まずは、美容院に飾ってあったポスターです。

長谷川京子の写真ですが、言葉が変です。

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右上には「髪のポ」。

左上は見づらいですが「かみのけ新しい物語」

下は「健康かみのけ毎一日でした」

文字も写真と一緒に印刷された、ちゃんとしたポスターなので、これが中国各地に配られているのでしょうか。

漢字、ひらがな、カタカナが交じる日本語の表記・表現は難しいようです。

例えば北京で日本料理店に入ると、メニューの表紙に「うまい料理」と書いてあり、ビールの欄を見ると「朝日スパードライ」とあったりとか、不自然な日本語は多々あります。

しかし、「髪のポ」って何でしょう、「髪のポ」って。

「毛」と「ポ」を間違えたのでしょうか。

でも、ある意味、日本人も笑えないですよね。

私たちが日ごろ身につけているモノに書いてある英語も怪しいものがあるんでしょうね。

もしかしたら日本にいる英語圏の人に

「おい、前から来る男のTシャツ見てみろよ。英語で『髪のポ』って書いてあるぜ」

「意味わかんね~」

などと笑われてるかもしれません。やだな~。

※  ※  ※

さて、次はデパートのキッチン用品コーナーで見かけた広告です。

柱に付けられた大きな広告ですが…

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いかがです?

包丁の切れ味が鋭いと言いたいのか、もしくはおしゃれな雰囲気を出したいのか。

私は見た瞬間、怖かったですねえ。

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まるで包丁を隠し持っているようです。

さらに、この柱の反対側の広告はこういうものです。

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「あなた! やっぱり浮気してたのね!!」

と迫られているようです。

包丁だけ枠から飛び出している構図がよけいに怖い。

これ、クレーム出ないんですかねえ。

※   ※   ※

さて、最後の写真です。

バスの車体広告ですが、今度は金属バットです。

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インスタントラーメン「五谷道場」のCMで、街のあちこちで見かけます。

要するにノンフライ麺で、

「無駄な油を(バットで)追い出した健康ラーメン!」

と言いたいようです。

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中国では野球はほとんど知られてないのに、なんで金属バットなんでしょう。

なお、この男性は陳宝国という有名な俳優です。

「漢武大帝」など多くの作品に主演し、「影帝」(映画・テレビの帝王)とも言われています。

これも日本なら「怖い」と苦情が出そうですけど。

また変わった広告があったらリポートします。

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2006年11月28日 (火)

物ごいはもうかるか

「実際に目の前で困ってるんだから、お金があるならあげりゃいいじゃない」

「そうやって金をやるから結局、乞食は無くならないんだろ?」

 

 --若い頃に海外を旅して、安宿で出会った仲間とそんな議論をしたことがあります。

 中国の主要道路を歩いていると、いつもその議論を思い出します。

数メートルおきに物ごいがいたり、外国人が出入りする店で何人も待ちかまえているからです。

 同じ中国人でお金をあげる人はほとんどゼロ、外国人がたまに手渡す程度です。

 「お金をやったって無意味」と思っている人が大半だからです。

 その理由は

    物ごいをしてる連中は、実際は裕福だから。

    お金をあげても、それを巻き上げるやつがいる。

    あげてたらキリがない。

だいたいこんなとこです。

    については私もそう思うことがあります。

 ちゃんと郊外に住みかがあって市街地に「通勤」するおばあちゃんが多いんです。

先日、私が夜遅く歩いていると、杖をついて小さい鍋を持ったおばあさんがヨロヨロしながら「謝謝(シェイシェイ)謝謝」(もらう前から謝謝と言う)と近づいてきます。

私が「相場」の一元札(15円)をあげたら、おばあさんは「あ、(帰りの)バスが来た」と言って停留所へ走り出し、バスの中で係員にその一元札(バス代は一律一元)を差し出していました。あのなあ。

他にも、背筋のスラッとしたおばあさん同士が「今日はまあまあだねえ」などと談笑しながら歩いています。

    の「巻き上げるやつがいる」とは、子どもに物ごいをやらせて、お金を巻き上げる母親たちのことです。

大使館街近くのセブンイレブン店内から外へ出ると、おんぼろの服を着た2~6歳ぐらいの子どもたちが集まってきます。

たいがい無表情。

一元札を見せると奪うように取り、無言で立ち去っていきます。

子どもが向かう先では、母親らしき女性同士が路肩に座って菓子をばりばり食べながら談笑しており、子どもからお金を取ると「また行ってきな」とアゴで指図します。

まるで鵜飼いです。

 無表情ということは、感情が抱けるような環境に育っていないということでしょう。親の日常的な虐待も推測できます。

子どもが笑顔でお金を受け取れば、こちらも「いやー、これこそ草の根交流だ」などと自己満足に浸れるのですが、お金をあげるたびに悪循環の構図に荷担しているような気分になります。

    の「あげてもキリがない」は、そのまんまです。

 一人に渡すと、近くの物ごいがダッシュしてきて「私も、私も」と集まってくるからです。

  こういうことがあるので私はできるだけ日ごろから一元札を多く持つようにしてますが、当然足りない時もあります。

 先日も一人に一元札を渡したら、遠くから三人の物ごいが駆け寄り、四人目には一元札が無くなったので五角札(一元の半分)を渡しました。

 するとその女性はクルッと後ろを向いて五角札をヒラヒラさせながら、他の物ごいに「私だけコレだよ。 ったく、ついてねえったら」

みたいなことを言っています。

 私は(お礼ぐらい言えよ!)と心の中で怒り、

 すぐさま

 (うわっ、五角や一元で礼を言えなんて、やっぱ俺ってただのゴーマンな金持ちじゃん)

 とイヤな気分になりました。

 おそらく最初は「かわいそう」とお金をあげてた人も①②③のような体験を通じて、あげない人に転向していくのでしょう。

  ※  ※  ※

2年前、北京市が市内の物ごい238人に聞き取りした調査によると、ある物ごいは一日で200元(3千円)を稼ぐなど、大多数は金もうけのための「職業こじき」だったそうです。85%の物ごいは当局の援助を拒否していると言います。

大卒社会人の月給が3千元(4万5千円)、地方からの出稼ぎ労働者は身体を酷使して月収は1千元(1万5千円)ですから、1日で200元なら相当の高給取りです。

 ただ、この統計は、天安門広場などの観光地区で物ごい行為を禁止するために集めたもの。「まず排除ありき」のデータなので、信用できないと私は思っています。

 何より「物ごいは好きでやってるだけ。政府の責任じゃないよ」と強調したいのでしょう。

 しかし、明らかに貧しい物ごいはいます。

 上半身がやけどして顔の皮膚がめくり上がった男性。

 両足が無く、小さな輪っかが付いた板の上に乗って移動するお年寄り。

 両足が「人」の字のように内側から外側に湾曲している少女。

「社会主義とは何か」という論争をしたらキリがないでしょうが、少なくとも言えるのは「社会主義とは貧しい人を救い、平等を目指すこと」ではないでしょうか。

この現状を見ると、やるせない気分になります。

上で書いたように、私は基本的に「お金を渡す」派です。

渡してイヤな気分になることもあるし、渡すことで「俺はこのかわいそうな現状を見過ごさなかったぞ」と気を紛らわせているだけかもしれない、と思うこともあります。

ただ、お金をあげないというのは何となく避けたいし、あげるから良いことをしたと思わない。それでもお金を渡すことを通じて感じることがある。今、言えることはそれぐらいです。

「お金を渡しながら考え続ける」

当面はそういうスタンスで、正解のない問答を続けていきます。

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2006年11月27日 (月)

物ごいミュージシャン

市街の地下道で演奏をよく見かけます。

 伝統的な胡弓(こきゅう)を弾くお年寄りからバイオリンを弾く若者まで、多くの中国版ストリートミュージシャンがいます。

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写真は、胡弓を弾く親子のような二人組。

津軽三味線の吉田兄弟のようですね。

二人とも盲目のようです。

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演奏に聴き惚れ、思わず十分間ほど立ち続けました。

年配の人が主旋律、若い方がそれに合わせたハーモニーが絶妙。

年配の人は右足のつま先を上げ下げして、ひざに付けた木魚みたいな小鼓をポクポク鳴らせます。時折歌も披露します。

外国人がよく通る道で、1元札(15円)を置いていく人が多かったです。

さて、この二人組はストリートミュージシャンと言いましたが、実際は限りなく「物ごい」、要するに乞食に近い人たちです。

「何で乞食なんだよ。だったらストリートミュージシャンは全員乞食になっちゃうだろ」

と思われる方もいるでしょう。

確かにそうとも言えます。

ただ、お金を入れる缶のそばに幼児がちょこんと座っている、というのは、こちらの物ごいの「定番」です。

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子どもたちの身なりは貧しく、若い男性のそばの男の子は全く無表情でした。

何人かの外国人は子どもに直接渡そうと一元札を目の前まで差し出すのですが、まったく反応しません。

障害を抱えているようです。

子どもたちを見ていると重い気分になるので、大人二人組だけで演奏した方がよっぽど気軽にお金を置いていけるのでは、と思ってしまいます。

それでも、おじいさんが歌っている時の表情は、本当に気持ちよさそうです。

「どんな理由、どんな境遇であれ、胡弓を弾いて歌っていられるなら幸せさ」

そう言っているようでした。

そう思っていてほしい、という私の願望なのかもしれません。

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